被爆した墓石

2016年5月29日

この墓石の由来

このあたりは、被爆前、中島本町という地名で、慈仙寺という浄土宗のお寺が建っていました。原爆の被害で、お寺の全ての建物は壊滅、ご住職含め、全員が犠牲となりました。
この墓石の特筆すべき事柄は、墓石周辺の地面は、被爆前のもともとの姿だということです。
すなわち、平和記念公園は、盛り土をして整地して造られたのですが、墓石周辺はそのままの形で残され、やや窪地状の場所に、墓石が安置されているというわけです。その部分がまさに、被爆前のもともとの広島の地面の高さだったということになります。

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墓石も地面も何も語らないが、しゃがみこんでみると、それらから、あの日の出来事がひしひしと伝わってくるような感覚をおぼえた。